2022.11.08

認知症の家族との関わり方、やってはいけないこと~後編~

2022.11.08

認知症の家族との関わり方、やってはいけないこと~後編~

川内潤:NPO法人となりのかいご代表理事

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繁田雅弘:一般社団法人 栄樹庵 代表理事 。「SHIGETAハウスプロジェクト」代表 

医師・東京慈恵会医科大学 精神医学講座 教授・同大学附属病院 精神神経科 診察部長

あらすじ

安心して認知症になれる場所として地域に開かれた「SHIGETAハウス」の設立者であり認知症専門医でもある繁田雅弘先生と、となりのかいご代表の川内潤が対談しました。繁田先生の生家でもある「SHIGETAハウス」にお邪魔し、家族のお悩みとして多く耳にする問題にアドバイスをいただきました。前編に続き、後編では繁田先生ご自身が認知症の方とどう関わっているのか、また認知症になることは不幸なのかについてお伝えします。

■医者は変えていい

川内 相談者の中に、地方にいる認知症のお母さんをお父さんが介護している方がいて。お医者さんに「この状況で息子が仕事をやめて帰ってこないなんてどういうことだ!」と怒られたそうです。これに対して家族はどう答えるべきなのかっていう話なんですけど、こんな話をお医者さんである先生にするのは申し訳ないのですが…。

繁田 いや全然。それはただ医者を変えたらいい。

川内 えっ?そういう結論ですか?

繁田 そうですよ。それでいいんですよ。ちょっと遠くても合う先生を探したほうがいい。今後とも叱られることが続くと、介護しようという力も削がれますから。

川内 そうですか。

繁田 中には全部医者に決めてほしいと思う方もいるけれど、でもほとんどの人は本当はこうしたいという希望があるので、それを引き出せるケアマネなり医者なりが必要かな。認知症に関しては偏りがあって、かかりつけの先生方も医師会の使命として診ざるを得なくて、中途半端な知識で患者さんがどんどんきちゃって苦しんでいる先生も多いんですよ。

川内 はいはい。

繁田 認知症の専門医は全国に2〜3千人しかいないんですよ。だから常に手が足りない状態です。

川内 そうなんですね。今の話だと、本当のカスタマーは認知症になった本人なんだけど、家族もそういうフィルターでお医者さんとお付き合いするということが大事だっていうことなのですかね。

繁田 そうです、そうです。

川内 あぁ〜。

繁田 だからそれもやっぱり、自信を持ってということなんですよ。この医者がダメだったら変えたらいいよ。自分なりに冷静に考えてそれが正しいと思ったら、大きく間違えることはないよっていう。医学的に間違ったとしても、幸せだったらいいじゃないですか。

川内 先生がそうおっしゃってくださるとありがたいです。医学の正しさのために家族があるわけじゃないですものね。

繁田 医療が目的ではなくて幸せになることが目的なので。その一つの道具として医療や介護保険、社会支援や制度や行政があるってことじゃないですか。目的のためにどうかなって、少し進行が遅くなるなら、生活が続けられるなら利用してもいいかもね、っていうような姿勢がいいんじゃないですかね。

認知症の家族との関わり方、やってはいけないこと~後編~対談風景

■押してダメなら引いてみろ

川内 昔は怒っちゃいけないって言っていたけど、今はもう言わなくなったというのはどんな変化があったのですか?

繁田 言わなくなったというか、言うことはただ無神経なだけだったのかなと思うようになったんです。

川内 それはどのような経緯で気づいたのですか?

繁田 結局、怒るのをやめる家族がほとんどいなかったもん。押してダメなら引いてみろっていうことかな。

川内 そういう経緯だったんですね。

繁田 自動車運転もそうだよね。昔は僕はもし誰かひいちゃったら近所から白い目で見られるし運転はダメだよって言っていました。だけど最近あった家族の例でいうと「お父さん、やっぱり運転したいよなぁ、運転楽しいもんなぁ。はじめて乗った車はなに?」って聞きました。この家族は会えば喧嘩ばかりで本人は絶対免許を返上しないっていう方だったんですよ。僕がダメだって言っても意味がないわけですよ。だから僕は思い出を聞いたわけ。その上で「で、いつまで運転し続ける?」てタイミングを見極める。それまではちゃんと関係性を作って、いかにその人にとって運転が大事でかけがいのないものかをわかった上で伝える。昔は僕も大声で「子どもをひいたらどうすんだ!」、すると本人も「うるせい!ひくわけねーだろう!」って感じで、看護師さんが心配して僕の診察室に飛んできたなんてことも散々あって。それでも運転をやめた方はほとんどいなかった。

川内 そうですよねぇ、でもそれはお医者さんじゃなくて家族がやるパターンもありますよね。

繁田 家族は鍵を隠すとかになっちゃうじゃないですか。だから本人は窓ガラスを割って乗ろうとするわけですよ。その時に「窓ガラスを割るなんて、どんなに非常識か」って家族が訴えるけど、その前に「窓ガラスを割らなけらばならなかった気持ちがわかる?」って。ただそれは不公平だから、本人にも「家族が鍵を渡せなかった気持ちがわかる?」ってちゃんと言うこと。それでこそ対等じゃないかな。

川内 そうですね。

繁田 認知症の人も人を見て言いますよ。

川内 そういうことに気づいてくれるお医者さんなのかどうか、家族としてお医者さんを選ぶというか…。

繁田 そうです。だから僕から離れていく人ももちろんいますし、渡り歩いてようやく僕のところにたどり着く人もいる。合う合わないは必ずありますからね。「あの先生ははっきり決めてくれないし、なんだかわからない。こうしろってはっきり言ってくれないから」って声を聞いたことはある。逆に「あの先生はなんでも決めてくれるけど、本人の気持ちも聞かずに頭ごなしに決めちゃって・・・」って声も聞いたことがある。だから選んでいいって、この人だったらやっていけるっていう医師をね。もっとも強い信頼は「もし万が一誤診をしたとしてもこの医者だったら許せる」って気持ちかな。

川内 おー。

繁田 そうですよ、やっぱり必ず何万人かに一人はエラーが起こるわけですよ。でもその時に一生懸命やってくれているし、嘘はつかないし、っていう信頼関係ができていたらいいよね。お金を積んで絶対上手くやってくれって人もいるんだけど、人と人との関係はそういうことじゃないように思います。

川内 特に認知症においては、私失敗しないので!みたいな人はいないですよね(笑)私はそう思います。

繁田 まああれは、漫画みたいなもんだからね(笑)医療であれば絶対はないので。

川内 今の話を聞いていて思うのは、やっぱり「考えよう」ってことですか

繁田 それしかないです。

川内 そういうことですねぇ。

繁田 そうです、そうです。本人の考えを尊重するから、考えを尊重するだけの自信を持ってくれよと。本人が考えたら家族が尊重する自信を持ってくれ、本人と家族が考えたらそれをケアする人間が自信を持て、医者も持て、介護職も持てということですかね。その代わり選んでいい。僕は自分の信じるところで治療をしようと思っているけれど、それが全ての人に当てはまるわけではないので選んでもらう。その代わり後悔しないでねって。後悔しないっていうのは僕の大事なキーワードです。薬を飲まないという選択においても、本人や家族がそう考えたならいいよ、でもその代わり後悔はしないでねって。全く脅しのつもりじゃなくて。飲まないって決めて、飲まない決断をしたらこちらが懸命に飲まない決断を支えるから後悔しないでほしいっていうことを伝えて治療するのが大事です。

認知症の家族との関わり方、やってはいけないこと~後編~対談風景

■認知症になるとは不幸なことなのか

川内 さらに先生にお聞きしたいのですが、認知症になることって不幸なことなのでしょうか?認知症になるってことが本来の素のその人に戻っていくんだとしたら、私は全てが不幸ではないんじゃないかと思います。

繁田 素に戻るかぁ、いや僕はそうは思わない。

川内 おっいいですね!ぜひお聞かせください。

繁田 素に戻るっていうと子どもに戻るみたいになるでしょ?でも、僕はそういう感じじゃないと思うんですよ。持っていたものをなくしていくとか、減らしていくとかではなく、心と体に傷が増えていくってかんじですかね。そのひとの歴史は刻まれていくって感じです。認知症なら認知症なりにね。僕の中では。複雑で微妙なものが混ざり合って今があるという感じ。もちろん不幸だとも全然思わないけど。

川内 なるほど。

繁田 認知症になったことで、今まで味わったことのない感情や経験に出会えたとすれば、それが本来のその人の核心みたいなものだと思うんです。それを幸せといえる人と辛いと思う人がいるのかもしれないけど、僕はその人の人生がより深くて豊かになっていると思う。

川内 そうですよね。

繁田 なんらかの病気になっていなかったら気づかなかった。病気になって自分の限界を知ることでたくさんの気づきを得ていくというのは幸せかどうかは別にして、価値があって人間にしかできないことで意味があることだと思う。人生の意味が大きくなるってことだと思う。その人の社会的な達成感とか満足感とは違うんですけど、それをよしとするというか、それが僕の中では認知症を超えるということなんですよね。戦うということとは違って、超えるってのはそのことなんかよりもっと大事なものがあるってことなんですよ。話がそれますけど、それを今僕は手に入れようとしている、っていうところが僕の今の目標。対話をする目標。

川内 一緒に超えようとしてくれている支援者なのかどうかもとても大事だろうし、また本人がそれをやっていこうとしてるのを家族として見守ることができるかというのも大事かなと思いました。

認知症の家族との関わり方、やってはいけないこと~後編~対談風景

■もし先生が認知症になったら

川内 先生ご自身が認知症になったら怖いですか?

繁田 やっぱり怖いって思います。

川内 それはどうしてですか?

繁田 それは記憶が薄れて頭も混乱していくので、子どもとか女房を間違った名前で呼んだらすごい傷つけるから。自分の処遇のためにいろんなことを家族が決めたとしても、実際迷うと思うんですよ。そんなことで迷わせて人生の大事な時間を使わせたくないって思うんです。意思表示をなんらかの形で読み取ってもらって、これはきっとこうしたいんだねって決めてもらったら後悔しないでほしいんだけど、なかなかそうはいかないかなあ。あとやっぱり僕も見栄があるので、家族や自分が大切にしている人とか可愛がった後輩とか、自分が尊敬されたいと思ってる人の前でボロボロご飯をこぼしたりする姿は見せたくないなあ。立ち上がったらおしっこを漏らしてたというのは、やっぱり周囲は失望すると思うの。僕を尊敬して、一緒に仕事をしてきた人をがっかりさせるのはしんどいなって。認知症になったら誰も知らない街に行って、静かに死にたいって言った人がいたけど、その気持ちがすごくよくわかる。今まで自分が築いてきた自分のイメージとかメンツというものよりは失望させたくないという思いがある。だから僕は「認知症になって安心して暮らせる講座」とかあるじゃないですか、安心なんてホントにくるのかなって思うんですよ。

川内 (笑)

繁田 自分がそういうテーマで登壇するときは、まずやんわりと「安心して暮らすのは無理ですね」と伝えて、ざわざわっとなったところからはじめるようにしています。容易いことではないですよ。なにかにつけてものがなくなるから1日かけてものを探す。時々ものがなくなって探すだけでもみなさん辛いでしょう?あれがずっと続くわけですよ。だから今僕がやるべきことは覚悟しておくってことですよ。人ががっかりし、失望させるであろうことを覚悟しておくのが僕が今すべき仕事でしょ。

川内 それが先生なりの考えていらっしゃる認知症になった時のイメージ。備えなんですね。

繁田 そう、覚悟を決めるということ。

川内 なるほど。

繁田 少しずつがっかりさせて、大きくがっかりさせないようにしようってね。

川内 私はずっと周囲をがっかりさせてきたので、最初の部分は楽なのかもしれないです(笑)そう思ったのは、やっぱり人によって違う、違っていいんだなって改めて思ったから。あとは、そんなに周りからどうこうってことよりかは、経済的にどうにかできなくなる恐怖心や家族に責任が果たせなくなることが僕は怖いです。

繁田 若年はそうですね。

川内 やっぱり家族との関係性やつながりなのかなって。

■丁寧に考えて、結論に自信を持つ

繁田 家族も想定していると思うんです。親父はこんな人で、これまでこんな人生を歩んできたけど、そんな父親が下した結論としてありだなって思えばそれでいいわけですよ。もしかしたら、親父がそんなこと考えているのかな?おかしいんじゃない?気を使っているんじゃない?あるいは、余計なことを吹き込んだ医者がいるんじゃないか?って考えるのも必要かもしれない。その人の価値観、人生観に照らして矛盾があるとすれば、それはやっぱり問わないといけないと思う。時間をおいてからもう一回聞いてみるとか。まあ照らして考えろってことですよ。意思決定ガイドラインにもそう書いてある。

川内 今日はもうひたすら考えろってことですね!

繁田 そう。あなたは考えられるよね、自信を持ってね、考えていいよ、あなたが決めていいってね。

川内 そういう伝え方がいいですね。

繁田 あなたが考えてあなたが決めていい、あなたの人生だから。

川内 私たちはそういうことをやってこなかったんですよね。

繁田 そう、もっと早くやらなきゃいけなかったね。介護する側もあなたは家族としてどんな介護がしたいか、それを考慮してもいい。ただ本人がそれを望まなければダメだけど。家族がなにをしてあげたいか、本人がなにをしてほしいか、その中にこそ結論があって医学・医療やケア理論やリハビリテーション理論の中に結論があるわけじゃない。そういうことですよね。結論は目の前のあなたの家族の胸の中にあるということ。

 

対談  完

記事の前編はこちら「認知症の家族との関わり方、やってはいけないこと~前編~

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